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語り続ける広島の「被爆ピアノ」

全国を回りコンサートが開かれている広島の「被爆ピアノ」が、2年ぶりに高知市にやってきました。原爆で受けた痛々しい傷が残る被爆ピアノは、時間を超えて平和の大切さを音色とともに伝えています。

そのピアノは静かにたたずむようにそこにありました。76年前の8月6日、広島で被爆した「被爆ピアノ」です。

ピアノの被爆状況について教えてくれたのは、広島市の調律師=矢川光則さんです。矢川さんは、被爆2世の調律師として、被爆者から預かった6台のピアノを修理、保管しています。20年前から被爆ピアノと共に全国を周り、コンサートを開いています。

1945年8月6日の広島。午前8時15分、それぞれの一日をはじめようとしていた人々の頭上で、人類史上初の原子爆弾が炸裂しました。摂氏100万℃、直径280mの火の球から発せられた熱線と爆風、そして放射能が、14万人といわれる尊い命を奪ったのです。被爆直後の広島市内の写真は5枚しか残っていません。そのうちの1枚に偶然、ピアノがあった家が映りこんでいました。

ピアノの持ち主はミサコさんといい、当時17歳でした。あの時、ミサコさんは自宅から離れた兵器工場で被爆したため、手にガラスの破片が刺さりながらも生き残ることができました。

その後、矢川さんの活動を知ったミサコさんから「役立ててほしい」とピアノが託されます。

「もう何十年も弾かれないままあったのでとても演奏できる状況ではなかった」(矢川さん)

何十年も弾かないピアノを捨てずに持ち続けていたミサコさんの思いを受け継ぎ、矢川さんが大切に補修した被爆ピアノが8月6日を前に高知にやってきました。高知でのコンサートの開催は4回目です。

コンサートの演奏者の一人、矢野絢子さんです。県内でシンガーソングライターとして活動しています。

被爆で受けた無数の傷跡をさらしながら、どこか悲しげに見える被爆ピアノですが、音が鳴った瞬間、命が宿ります。

「きょうは本当にこのピアノに会うのがとっても楽しみで、おこがましいかもしれないがこのピアノを癒したいと思って、色んなところに行ってくれてみんなの思いをのせてきつづけているピアノだから『楽しい』っていうの、『一緒に遊ぼう』っていうのを、ピアノを癒せたらと思って弾いている」(矢野絢子さん)

「音楽がなっている平和な気持ちの時間をお客さんと一緒に共有出来たらいいなと思っている。旅をして色んな人が弾いてきっとピアノちゃんすごく喜んでいると思う」(坂野志麻さん)

「3本、線がちぎれてたんだっけ?それでもそこだけは直して古いままだけどあんなにきれいに(なって)全部直したみたいですごかった」(観客)

「矢川さんがよく手入れをされていて、移動とかも大変でしょうけどこれまでよくやってこられていたなと思いました」(観客)

「核戦争を起こすとどういうことになるんかということを、このピアノからいろいろ考えてもらえたらいいなと、そのきっかけ作りには今まで全国で大きな役割を果たしてきたピアノだなと思うし、またこれからも戦争体験者も被爆者も高齢で語り継ぐ人も減少していっている中で、これから被爆ピアノが果たしていく役目はますます大きくなっていくんじゃないか」(矢川さん)

戦争の悲惨さと平和の尊さを身をもって語りかける被爆ピアノ。これからも平和の音色を奏で続けます。