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今月30日に引退相撲 高知県安芸市出身 元関脇栃煌山の思い

おととし7月に現役引退を表明した高知県安芸市出身の大相撲元関脇・栃煌山。新型コロナの影響で引退相撲ができずにいましたが、今月30日に東京・両国国技館で行われることになりました。清見潟親方襲名披露も同時に行われます。引退相撲を前に栃煌山に思いを聞きました。とっておきの秘蔵話もありますよ。

「大相撲の世界は子どものころから夢の世界だった。中学生の時に初めて個人のタイトルで全国大会で優勝することができたので、その時に、高校卒業したらこの世界に入りたいっていう思いが心の中に決まりましたね。」(栃煌山)

栃煌山は1987年・昭和62年3月に安芸市で生まれました。小学生の時に祖父の影響で相撲をはじめます。全日本小学生相撲優勝大会でベスト8に入るなど力をつけ、中学3年の時には中学横綱となりました。

「正直稽古がいやでね、逃げた時もありましたけど。試合にいくと勝ちたいという気持ちが強かったですし。しっかり頑張ろうって思えた時からは相撲一筋というか。相撲好きになってきた。」(栃煌山)

明徳義塾高校を経て春日野部屋に入門。2005年・平成17年に初土俵を踏みました。そして、2020年7月場所で引退を表明するまで、殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞2回、金星を6回挙げています。金星を挙げた6回のうち3回は元横綱・稀勢の里戦でした。

栃煌山が現役時代からよく訪れるという台湾料理店「生駒」(いこま)には稀勢の里との写真が。栃煌山が旭天鵬に敗れ惜しくも優勝を逃した2012年5月場所では互いに優勝争いを繰り広げました。

「私もくやしくて眠れないというのもあったので、部屋の行司さんとかお付の方と一緒にこのお店の大将にお願いして、お店閉まった後に開けてくれませんかって電話して。そこでみんなで食事していたら稀勢の里関からたまたま連絡がきて。結構遅い時間だったんですが、いまどこにいるんだ、みたいなね。で、本当に千葉の方から車できて、この日は朝までくやしい話をしたり、ああだなこうだなという話をしながら時間を過ごしました。」(栃煌山)

「いろんな話をしましたね、もっと頑張らないかんな、みたいな話もしましたしあとはもう酔っぱらって。心のなかでどこかで悔しい気持ちはあったので。そこを・・・土俵じゃなかったですけどね、テーブルの上でぶつけあって。懐かしいですね、本当に」(栃煌山)

生駒のご主人、小池光雄さんは栃煌山についてこう話します。

「優しすぎてそれが玉にきず。結構芯があるんだけど、なんか優しすぎるね。」(小池光雄さん)

そして、稀勢の里との一夜を振り返り、栃煌山の今後にエールを送りました。

「くやしさを紛らわせたんじゃない?(取組を)みてて悔しかったよ。でもそのくやしさが今度若い人を育てるのにいい方向に向いていくんじゃないの。一回そういう風に味わえば。」(小池光雄さん)

今後は春日野部屋付きの清見潟親方として後進の指導にあたることになります。

「もう一つ、もう二つ、番付が上に行きたかったですし、優勝もしてみたかったですけど、そこまでたどりつけなかったのは自分の努力が一つ足りなかったのか、何かが欠けていたのかなあという思いもありますし。小学生の時から相撲を始めて、自分らしい相撲というか逃げないで真っ向から勝負する、栃煌山らしい相撲がこの15年間、その前の小中高もそうですけどそこはできたと思うので、そこに関しては、満足していますし、でもまあ、もう一つね、行きたかったなあ、と・・・そこはね、これからのね、指導していく子たちに託していきたいと思います」(栃煌山)