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城研究の権威が語る 「山城」の魅力と歩き方

特集です。尾﨑アナウンサーとお伝えします。

好きなお城は宿毛城!尾﨑大晟です。よろしくお願いします。今日はお城についてです。早速なんですけれども、中元さん、藤崎さんそしてテレビの前の皆さん、高知県には一体いくつのお城があったと思いますか?

さっき宿毛城って言いましたよね?宿毛城をひとつカウントして、もちろん高知城。岡豊城…中村城?でもそれ以上…思い浮かばないです。

10ぐらいですかね。

10ぐらい…さあどうなんでしょうか。見てみましょうこちらです、実際は…500!

およそ500のお城があったんですね。およそですから数えきれないぐらいあるんでしょうね。このうち半数がですね、山城と呼ばれる山に築かれたタイプのお城、私たちのイメージするお城とはちょっと違うんですけれども、その山城の魅力そして歩き方を城研究の第一人者に教えてもらいました。

「高知市春野町に来ています。私の後ろにありますのは、森山城跡というお城の跡です。現在も調査が行われていまして歴史的な価値があるということが伺えますが、これがお城ということが私もまだよくわかっていませんので、お城に詳しい方、お呼びしています。滋賀県立大学の中井均名誉教授です、よろしくお願いします。」(尾﨑大晟アナウンサー)

「はい、よろしくお願いします。」(滋賀県立大学 中井均名誉教授)

滋賀県立大学の中井均名誉教授。中近世城郭研究の第一人者で3度の飯よりも城が好きだ!という考古学者です。これまでに訪れた城の数は1000を超えます。

「これがお城なんですか。」(尾﨑アナ)

「はい。あのお城の本体自身はこんもりとした山の方ですね。」(中井名誉教授)

「城と言いますと、石垣があって天守があって、そういうものを想像しますが、これちょっとまた違いますね。」(尾﨑アナ)

「例えば高知城なんかは、山内一豊が1600年の関ヶ原の合戦に東軍についてですね、やってきて作ったという近世のお城なんですが、こういった山のお城というのは、それよりは約50年から100年ぐらい前に作られている。それはもう石垣も使わない、まさに土木工事で作ったお城。」(中井名誉教授)

「中井さん、今日この後もう一つ山城に行くとお伺いしましたが…」(尾﨑アナ)

「僕は今から佐川の佐川城へ行くことにしています。」(中井名誉教授)

「私達もついて行ってもいいですか。」(尾﨑アナ)

「ぜひ、ちょっと山城ですからしんどいですけど、よろしくお願いします。」(中井教授)

佐川城は戦国時代、長宗我部元親の家臣・久武氏が治めていましたが、関ヶ原の戦いをきっかけに初代土佐藩主・山内一豊に付き従っていた重臣・深尾氏が城主となりました。現在は大勢の人が訪れる桜の名所、牧野公園になっています。

「あー、あれが本丸やね。」(中井名誉教授)

「もう見えますか。」(尾﨑アナ)

「あの山、上が平になってるじゃないですか。城のある山ってだいたいああいう格好をしているんですよ。」(中井名誉教授)

山の形を見ただけで、どこが本丸かわかってしまうほどの見識を持つ中井名誉教授。ここで何かを発見しました。

「中井さん、これは竪堀ということですけど、どういった役割があるんですか?」(尾﨑アナ)

「山の斜面に縦に掘りを落とす、極端な言い方をすると、ゴジラが爪でひっかいたような縦に堀が落ちて斜面移動を封鎖する。横移動を封鎖するために縦に落としています。城外から攻めてきたに竪堀があれば、向こうへ渡れない。逆に竪堀を登って攻めていこうとすると、この上から待ち構えられて石を落とされる。」(中井名誉教授)

「縦にも横にも守れる?」(尾﨑アナ)

「そうそう。」(中井名誉教授)

「景色見ながら楽しめるっていうのもいいですね。」(尾﨑アナ)

「本来はそうするのがいいんでしょうけどね、僕はこんなの全然目に入らない。でも冗談抜きにやっぱり山城っていうのをもっと市民の人が親しんでもらうためには、例えばウォーキングにも使える、つまり健康、それからもう一つは自然の方を楽しんでもらうこともできる。歴史系の人間だけではやっぱり僕は駄目やと思ってるんで、やっぱり自然と健康。」(中井名誉教授)

続いてやってきたのは、公園の広場のような場所です。

「ここ広場のようになってますけど…?」(尾﨑アナ)

「ここは曲輪という平坦地ですね。兵が駐屯できる、近世の城でいうと本丸と二の丸というような、○○丸というようなところの一つであることは間違いないと。後に一つ立ち上がって、また上が平坦地になっている。そういう平坦地、つまり曲輪というのを何段にも階段状に作って、敵が来たら上から攻撃をするということですね。だからもう城の中入ったということですね。」(中井名誉教授)

曲輪の後ろにある物見岩と呼ばれる大きな岩。ここから佐川町を一望することができます。

「景色いいですね。」(尾﨑アナ)

中井名誉教授は、この景色にも意味があると話します。

「こういうとこ来ると周りの城も見られる。その城同士の連絡とか、そういうことは当然できる。これを治める領主ですから、この風景が望める、お城に適したところっていうのを選んで城づくりをしている。」(中井名誉教授)

「上からも下からも見える場所に作っている?」(尾﨑アナ)

「上は見下ろす。要するに支配者が上から目線というまさにそういう感じですよね。下からはあそこに領主様がいるんだというその見上げさせるというところに意味があるんだろう。」(中井名誉教授)

「数多く山道だったり、山を登ってきてるわけですね。」(尾﨑アナ)

「だから、もちろん道のない山城っていくらでもあるので、もうこの斜面を直登するしかない。」(中井名誉教授)

「大変ですね…」(尾﨑アナ)

「大変ですよ。学問は、体力ですよ!」(中井名誉教授)

1000を超える城を見てきた中井名誉教授が、ここ佐川城を訪れたのには大きな理由が。

「慶長6年(1601年)に山内一豊が高知城を築いたと同時に、重臣の深尾氏にこの佐川を与えるんですが、そこで城作りをするわけです。それはもう『石垣の城』です。だから『土づくりの城』と『石垣の城』と二つここでは楽しめるわけですね。」(中井名誉教授)

山道に入ると早速、石造りの城の痕跡が。

「瓦…?」(尾﨑アナ)

「1601年から1615年の間、佐川城に使った瓦。」(中井名誉教授)

「…今の瓦と“変わら”へんやん。」(中井名誉教授)

「“かわら”だけに…」(尾﨑アナ)

「はい、わかっていただけて…」(中井名誉教授)

「相“変わら”ず…」(尾﨑アナ)

「おお!すげー!(笑)」(中井名誉教授)

続いて目の前に現れたのは切岸と呼ばれる防御施設。人工的に斜面を削り、下から攻めてくる敵兵の攻撃を防ぎます。当時は木が生えていないため、そり立つ壁を登ることはなかなかできません。

「斜面をとにかく90度近く切ってしまうわけですよ。もう攻められない。すごいや!」(中井名誉教授)

「興奮してますね(笑)」(尾﨑アナ)

「いいですよ!」(中井名誉教授)

数々の城の痕跡に興奮が止まらない中井名誉教授。ついに一番、見たかったものが!

「ああ、すっげえ!」(中井名誉教授)

<石垣>

「中井さん、どんどん登っていっていますけど…」(尾﨑アナ)

「すいません、すごいわ。本当に」(中井名誉教授)

「どうですか。石垣の組み方であったり…」(尾﨑アナ)

「いや素晴らしい。だから例えばもう単純に、短辺、長辺、短辺、長辺、短辺と交互に石垣を組んでるっていうのは『算木積み』ってやつで戦国期にはないんですよ。角をこういう具合に築くってのはもう織田と豊臣以降。だから要するに長曾我部の時代にはおそらくないだろうと。拠点ごとにそういう子どもの城(支城)を作って支配を強化するっていう。それがこれ(この城)ですよ。今まで見てきた土の城とは全然違う。」(中井名誉教授)

「中井さんいつもこんな道を通ってるんですか?」(尾﨑アナ)

「そうですね」(中井名誉教授)

「すごいですね。今おいくつでしたかね。」(尾﨑アナ)

「66歳」(中井名誉教授)

「66歳!すごい!」(尾﨑アナ)

今回の山城歩きで残っている石垣や地形の痕跡をヒントに、佐川城は近世の段階で高知城や中村城に次ぐ1万石の規模であることが改めてわかりました。

「今日はありがとうございました。どうでしょう、佐川城。」(尾﨑アナ)

「素晴らしい、本当に感動しました。ここに門があったんではないかとか、ここに石垣があったんじゃないかというのは想像ではなくて、少しの地形の違いで考えさせられる、戦国の人たちと対話ができるっていうか、彼らがどう知恵を絞ってどう工夫してつくったのかっていうのを読み解く面白さがあるんですよ。それが僕はやっぱり66歳になっても山城をやめられない一番の魅力だと思います。」

「ありがとうございました。」(中井名誉教授・尾﨑アナ)